TONARIの 色撮り撮りの「紀行」

現代アートの島 直島の旅’12 2012年12月15日〜17日
香川県香川郡直島町

【12月16日】つづき
石橋
家プロジェクト
「石橋」

 細い路地を通って港方面に戻り、次の目的地の『石橋』へ。
 事前に調べた中では一番行きたいと思っていたところである。海から一本山側の道をしばらく歩くと到着。

 靴を脱いで上がり、最初の部屋へ。
 庭が見える応接間?で、襖絵がある。ぼかした感じのもやっとした雰囲気の絵で、何だろう?という感じ。でも、角度を変えてみると見え方も変わり、細かく描かれているのが分かる。山の風景という感じ。

 角を曲がって土蔵の入り口から中を覗くと天井から滝が流れ落ちている。それは千住博の作品である。

 広島市現代美術館で千住博の作品を見ていることもあり、この作品を見たいと思っていたのである。
 平面の絵だけでもそこに滝があるような迫力や雰囲気を感じさせるのに、こうして土蔵の壁に描くことによって、天井から滝が流れ落ちているような錯覚に囚われ、磨かれた床に映り込んだ水の白が、叩きつけられて跳ね上がる滝壺の飛沫に見えてくる。

 土蔵の窓が少し開けられ、そこから差し込む光が良いアクセントになっている。

 期待通りに素晴らしい作品である。美術館で見るよりもより迫力が感じられる。

 美術館でもその迫力は伝わるのだが、絵というより自然に包まれているように感じるので感動は大きい。

 妻が指摘してくれたのだが、この建物自体が山を表し、滝が流れ、そして海(庭)へと流れると。なるほど〜やはり女性の感性というのは鋭い。
 
家プロジェクト
「はいしゃ」
はいしゃ 
 続いて少しだけ山手に離れてある『はいしゃ』へ。

 街並みから外れて、ちょっとモダンな役所前に出て、坂を少し登るとバラックのようなごちゃごちゃした建物が見えてくる。大竹伸朗が手掛けた『はいしゃ』である。

 元々は歯医者の建物だったそうだが、わざわざひらがなにしてあるのだからそこに作家の思いがあるのだろう。

 歯医者、敗者、廃車、配車、拝謝…ワープロ変換ではこんなところだが、この外観からすると「廃」「者(もの)」の意味か。

 アート作品だと言われなければ、ガラクタとしか見えないし、美しいとも思えない。

 自由の女神が大事に?収まっていたり、訳の分からないものがあったり、落書きのようなものがたくさんある。廃品だからゴミで汚らしいかと思いきや、何やら楽しい感じがする。それが大竹ワールドか。個人的には好きな部類の作品ではないのだが、好きな人は好きだろうな〜と言う感じ。
 
直島の暖簾直島の暖簾

 予約している『きんざ』の時間に間に合うよう再び街中に戻るが、小さな町なので、すぐに戻ることが出来て20分前には到着。でもお昼を食べているほどのゆとりはないので、近くを散策。

 いろいろな暖簾が掛かっていて面白い。上の写真左側は昨晩泊った石井商店さんの暖簾。右側は「石橋」近くの暖簾。他の場所にもあるので探してみると良い。
 
にゃおしま 
 ←直島には(というか港町には)猫が多いので?猫カフェがある。

 ↓民家の庭先に草間彌生のかぼちゃを模したオブジェが。
 民家の庭先
家プロジェクト
「碁会所」

 まだ時間があるので、『きんざ』のお隣にある『碁会所』から観る。

 左右に囲碁を打つのにちょうど良いような小さな和室があり、片方には椿の落花が散らされている。ここを手掛けたのは須田悦弘さん。現代美術館でも県立美術館でも作品を見ている作家である。

 ホオノキを彫って作ったリアルな作品で、ここでは椿の花だが、雑草だったり、チューリップだったり、薔薇だったりが、気付きにくい場所にさりげなく置かれていたりするので、それを探すのも面白い。

 この木彫の椿を見て、「本物とそっくりですごいね〜」でも構わないのだが、実際に椿の落花が畳の上に散らばると言うことはなく、普通は庭の地面や神社の石畳・石段などで観ることの方が多い。普通はあり得ない状況で、本物と見まがう花が置かれている。「こんなことはないのですよ。何か変なところはありませんか?」と問い掛けられているよう。

 一方、向かって右の部屋には何もない。妻も私も須田さんの作品は今までに何回か見ているので、変なところに何か飾ってあるのではないかと、夫婦揃ってのぞき込んで何かないかと探すが見つからない。

 ヒントはないかと係のバイト?のおにいちゃんに訊くと「中に置かれているものです」と言うので再び見るが何もない…と目を落とすと、立ち入り禁止を示す(?)和室で使われる竹の棒が…これって普通の竹だしな、と思った瞬間にピンと来た。これは木で作ってある!と。

 なるほど〜ここから上がってはいけないという意味でしか観ていなかったので注意していなかったが、こんな所に作品があるなんて、完全に意表をつかれた。灯台下暗し。作品の完成度はもちろん、やはり須田悦弘というアーティストは面白い。
 
家プロジェクト
「きんざ」
きんざ 
 『きんざ』の予約時間には少し早いが、10分前に来て下さいとチケットに書いてあるので早めに行ってみると、前の人は居なかったのかすぐに入ることが出来た。ネット予約するときは前の時間までは一杯だったのでこの時間になったのだが、キャンセルが出たのかな?

 デリケートに作ってあるということで、1人だけで15分間鑑賞するようになっている。

 まずはレディーファーストということで妻が先に入り、私は建物の外観などを撮影しながら15分待つ。出てきた妻に「どうだった?」と訊くが「何も起こらなかった」とよく分からない。

 私の番になり、鑑賞の注意事項を聞いてから土蔵のような引き戸を空けて中に入り、小さな丸太を伐った様な椅子があるのでそこに腰掛ける。
 
 中央にドーナッツ状のオブジェ。6本の柱が左右対称に並び、上には銀色の円筒。椅子の隣には細い棒。ガラス玉が何個か置かれている。壁の下は明かり取りになっていて、外の光が間接照明のように中を淡く照らす。

 何だろうかこの空間は。
 神聖で静謐な空間には感じるが、ただそれだけであろうか。

 最初の5分間これは何だろうか、どれがどうなっているのだろうかと、注意事項を守って(笑)動ける範囲を動いて何かを見つけようとウロチョロする。よく分からないから(笑)

 まだ時間にならないかな?と時計を見たりしてちょっと落ち着かないが、取り敢えずと再び腰を下ろして作品を見渡す。

 6本の柱は奥行きを感じるから時間を表しているのだろうか?ドーナッツ状のものは、円は永続を意味するからそう言った意味なのか?銀色に輝く円筒は未来を覗き込むスコープか?などと某らの意味を無理に見出そうとする。
焼き板 
 ふと隣にある細い棒がパートナーの様に思えてきた。
 今年結婚したばかりということもあろうが、これから共に歩む人が身近に居てくれるのだという感覚。足腰が弱っていれば、立ち上がる支えになるかもしれない(触ってはいけないが^^)。

 部屋の隅に配されたガラス玉がはかなげに美しい。薄暗い部屋にある輝き。明るい光の中では気付きにくいが、暗いから印象的にその輝きに気付く。

 通りに面しているので、車の音や観光客の会話や歩く音が右手から聞こえる。でも左手は住宅だからほぼ何も聞こえない。

 光は同じように入っているようでいて、太陽の方向が違うから光の強さは微妙に異なる。右手は海からの風があるが、左手からはない。

 左右対称に見える6本の柱は、微妙に太さが違う。

 整然と配されたシンメトリーな空間かと思いきや、微妙に崩されていて、音や光も風もシンメトリーではない。などと考えると、顎に手を当ててじっと作品を見ている自分が居た。

 存在を気付いていなかった小さな棒?があったり、何やら小さなものが見えたり、入ったときには見えていなかったものが見えてくる。それは『南寺』で体験したことと一緒である。

 作品のタイトルは『このことを』。このことをどう考えるのか、どう感じ取るのか、といった問いかけであろうか。

 鑑賞者は1人だけなので、独りの世界に身を置くことによって自分の中にあるものと対話する(瞑想する?)空間を提供されたよう。

 人によって感じ方は様々だと思うが、一般に現代アートと親和性の高い若者よりも、私のように人生の半分を折り返した以降の年代の人の方が何か感じるところは多いと思う。私が10代20代の時にこの作品を見ても何も感じることは無かったと思うが、今年結婚して新しいスタートラインに立って大きな変化があった歳だからこそ感じることも多かったのかも知れない。

 15分は長いようで意外と早く過ぎ去った。独りで居ることによって”感度”が研ぎ澄まされるのだろう。

 今回、行きたいと思っていたのに日程的に行くことが出来なかった、同じ内藤礼の作品がある豊島美術館にもいつか行ってみないといけないな〜。
 
すなおくんカレーうどん
 今日の宿泊はベネッセハウスなので、宿泊者用のシャトルバスに乗る予定なのだが、バスの時間が25分後と微妙。

 ゆっくりとは食べられないから、昨晩泊まった石井商店さんに行ってカレーうどんをすする。


 うどんは讃岐うどんだが、冷凍かな?高松に住んでいたことがあるので、普通にスーパーで売っている茹でうどんでも美味しいことは知っている。

 食後、預けていた荷物を受け取り、時間が来て農協前からバスに乗る。
 宿泊者でなければ、つつじ荘まで行って、そこからベネッセのシャトルバスに乗るのだが、宿泊者なので直で(無料で)行くことが出来る。次の予定は李禹煥美術館なのでそこまで行くのだが、ミュージアムのところでバスの運転手が預かっていた荷物を渡していたので、我々も大きな荷物を託し、李禹煥美術館前で下車する。
 
李禹煥美術館
(リーウーファン)
李禹煥美術館李禹煥美術館 
 シンプルな白い建物が眼下にあり、垂直に立ててある棒と大きな丸い岩が庭?にある。

 これをどう解釈せよと言うのか悩むが、直線と球体、地面に四角形、建物の四角。少し離れたところに木が植えられているので、有機的なものと無機的なものとの対比か。

 意味不明だが、何かそこにあるべくして存在しているような空間の取り方が落ち着く。

 背後に広がる青空も絵だと思えば何か抽象画のようにも思え、周囲のものすべてが作品ならば、抽象絵画の中に観賞者が入り込んだようでもある。

 
李禹煥美術館
 コンクリートの壁に囲まれた天井のない通路を歩いて中に入ると、反響する自分の靴音が妙に面白い。見上げると天井がないので青空が切り取られたようで面白い。

 チケット売り場までは撮影可能なので写真を撮りながら進む。

 チケットを購入してカメラバックをロッカーに入れる。やっぱりリュックサックをベネッセのバスに預けておいて正解だった。あの大きさはロッカーに入らない^^

 ここに入ってもいいのか悩むような三角形の中庭から入る。こちらも外と同じくシンプル。入り口と分かり難い扉の前に立つと自動ドアが開き館内へ。

 最初の部屋はドローイング作品で、青というか紫というか群青色というか微妙な色の青い絵の具で線が描かれている。この色は見たことがあるぞ…広島市現代美術館でこの色を見たことがある。ああ、この作家だったのか(^^;。

 部屋の中央には黒いガラスが不規則に4分割されている。覗き込むと青い四角が…見上げると天井から空が見える。空の色そのものではなく、何かフィルターを掛けたような微妙な色合い。ドローイングの青とは違うが、それに近づけようとしたのか。

 見る方向で空色の四角の位置が変わり、照明の線も変わって抽象絵画のようにも思える。シンプルなのに何か惹かれる。


 次の部屋では中央にドンと大きな自然石が据えられ、奥にドローイングが斜めに立てかけてある。何か荘厳さを感じる空間である。自然石は大きなものだが、自然の中にあればありふれた岩。でもそれが展示室の中央に据えられると何か特別なもののように感じる。ここも天井を見ると青空がフィルター越しに見える。

 次は小さな部屋だが、石の影に映像が投影されていて、何か不思議な感覚に囚われる。

 最後の部屋では靴を脱いで中に入る。中には3つのドローイングと空。シンプルなのに不思議な空間。余計なものを削ぎ落とされているから不思議に感じるのか。微妙にカーブした展示室の天井がしっくりとくる。
 
李禹煥美術館
 「もの派」と言われる、現代アートの中でも理解しづらいジャンルの作品なので、普通に観光地に来る気分でここに来たら「何これ?これで千円もとるの!」になってしまうだろうし(笑)、現代アートに興味がない人には実につまらない空間だと思うが、そうであっても何か感じる所はあるのではないかと思う。

 実はあまり期待していなかったのだが、安藤建築の雰囲気も面白く、思いのほか楽しめた。

←海に向かっても作品が置かれている。
スラグ・ブッダ 
  バスの時間まで間があるので、何かないかと地図を見ると、近くに作品があるようなのでそれを探す。バス乗り場の少し外れに、池越しにお地蔵さんが集まった空間がある。小沢剛の『スラグ・ブッダ88』。

 直島にある八十八箇所巡りのお地蔵様を象り、石ではなくスラグで作ったとのこと。

 直島のお隣の豊島はかつて産廃の島として違法投棄が行われ社会問題化したのだが、その処理を直島で行っており、その処理で出てきたスラグ(鉄くず)を使ってお地蔵様を作ったそうである。

 瀬戸内の人間で山登りもしているので多少知っているのだが、八十八箇所巡りというのはいくつかの島などで行われていて、小さなお地蔵様が島の各地に安置され、それを巡れるようになっている。

 例えば私の地元で言えば、呉市倉橋島にある。本家の四国八十八箇所は簡単には行けないが、島の中なら可能であり、この直島でも行われているようだ。

 信仰の対象をスラグで作ることの意味は何だろうか?再生?それとも浄化だろうか?でも、何で作られようが、お地蔵様はお地蔵様かな^^

 そう言えば、小沢剛と言えば、お地蔵様をアイコンにして各地で写真を撮る「ジゾーイング」をしている。お地蔵様という形が好きなのか?
地中美術館 地中美術館 
  シャトルバスが来たので地中美術館まで乗る。

 事前に注意事項(作品だから建物は触らないように、写真は撮らないようになど)を聞いてからチケットを購入。

 2000円と割高^^

 写真撮影できないので、カメラバックはロッカーに入れる。

 事前に他の人のブログを読むと、宗教団体みたいな服だと書いてあったが、あまり違和感はなく、建物の雰囲気と良く合っていた。

 道路に出て、モネの庭を見ながら坂を登る。睡蓮の時期ではないのでもちろん睡蓮は咲いていないが、冬だというのに花は結構咲いている。むろん園芸品種ばかりだが、よく手入れされている。

 入り口に到着し、坂を登ってゆく。すでに安藤忠雄建築の中である。
 コンクリートに囲まれた無機的な空間だが、何やら面白い感じがする。自然光の取り入れ方が面白く、通路の壁を傾けたり、何かひねったような感じになっていたりして何やら面白い^^
 普通掲示してある見取り図が無いので、まず地図を見てから歩く私としては少々不安だったのだが、迷路を散策するようで楽しい。
 案内も必要最小限で、方向音痴の方は本当に迷うかも知れないが、それも面白いかも知れない。

 ここは3人のアーティストの作品しかないのだが、どういう順序で見ても構わない。

 最初はデ・マリアの『タイム/タイムレス/ノータイム』。
 下段、中段、上段に分かれ、階段で繋がっている。中段は大きな黒い球体がどんと構えていて、周囲の壁は金色の棒のオブジェが3本ずつ窓のように配された不思議な空間で、神聖な、教会の内部のような印象を受ける。
 作品に触らなければ上に登ることも出来るというので、上まで歩いてみる。ここも人工の照明はなく、天井からの自然光が絶妙に取り入れられていて、天気によって雰囲気が変わりそうである。ここに居ると時間が止まっているような不思議な感覚を覚える。
 写真では見ていたが、実際にこの部屋に入ってこの空気感を味あわないとこの作品の魅力は分からないと思う。

 続いてはジェームズ・タレルの作品。「アフラム、ペール・ブルー」。
 家プロジェクトの『南寺』でタレル作品を体験したが、こちらも面白い。
 桃色のスクリーンの様な前に並ばされ、ゆっくりと黒い階段を上って行く。これ以上先には行けないと思ったが、「進んで下さい」と促され、まず手で先の空間を確認するが何もなく、半信半疑で足を踏み入れる。
 中に入ると淡い光に包まれた不思議な空間で、幻想的な空気に包まれる。係員が指示する位置まで進むが、その先にも空間が広がっているように思える。その先が壁なのか、まだ空間が続いているのか判断できない。
 振り向いて今来た方向を見ると黒いスクリーン。異次元との境にいるような感覚。これも面白いな〜。

 次の作品は「オープン・スカイ」。
 正方形の部屋の壁にベンチがあって、みんなが座れるようになっている。そこに座って見上げると、建物で切り取られた四角い空が見える。普段見ている空も、こうして切り取ると絵のように見える。
 夕暮れ時が色の変化が大きくて面白いそうで、ナイトプログラムがあるのだとか。日程が合わず参加できなかったが、一度それも体験してみたいものである。人気があるそうなので、なかなか予約できないそうだが、こういうオフシーズンなら観ることが出来るだろう。背中が暖かかったので、壁暖房?がしてあるのかな?

 最後はクロード・モネの睡蓮を鑑賞する部屋。
 ふかふかのスリッパに履き替え、小さな四角柱の大理石で埋め尽くされた床を歩いてゆくと、正面に大きな睡蓮の絵、左右と後方に2作品ずつの絵がある。
 私自身はモネの睡蓮は特別好きということもないのだが、ここで見ると素晴らしい絵なのだと感じる。この絵を飾るためだけに作られたというだけあって、空間の大きさと絵の大きさとのバランスが良く、大理石の厳かな暖かみと、ふかふかのスリッパのふわふわ感で、湿度のある蓮池の中にいるような錯覚を覚える。モネの睡蓮がもともと好きな方はもっと楽しめるだろう。

 最後にカフェに行ってジュースを買って外のテラスで休憩。ここからの瀬戸内海の眺めも良い。

 地中美術館は年間パスポートが1万円で販売されているのだが、展示替えもないのに何回も見に来るのかなと疑問に思っていたのだが、来る人は居るだろうなと思う。非日常の不思議な空間は、日常に埋没している人々に癒しのようなものを与えるかも知れない。混雑期は入場制限があるそうだが、混雑している中で観ると、建物も作品も魅力が半減するので、ゆっくりと“地中を漂える”オフシーズンがお勧めである。
 
「もうひとつの
再生」
もうひとつの再生 
 シャトルバスの時間まで間があるようなので、少し離れたところにある作品を見に歩いて向かう。

 ベネッセハウス方面に戻り、ゲートのところで左折してため池に沿って進むと巨大なゴミ箱が見えてくる。

 どう見てもゴミ箱なのだが、巨人のゴミ箱のよう。

 公園にある編み目状になったゴミ箱で、金網が破れているところまで再現してある。

 三島喜美代の『もうひとつの再生』という作品で、これも『スラグ・ブッダ』と同じスラグから作られていて、ゴミでゴミとゴミ箱を作ってアートにしている^^

 こうなると、ゴミって何だろうかと思ったりする(^^;
桜の紅葉 
 来た道を戻り、李禹煥美術館前まで歩く。シャトルバスを待っても良いのだが、ついでなので歩いて戻ることに。歩くのはあまり苦ではないので、10分程度の道のりなら問題ない。

 右下に見える浜辺に何やら黒い船と黄色い船がある。漁師が使うのにしては違うよなと思いながら見過ごすが、後で、ベネッセハウスミュージアムでそれの意味を知ることになる。
「文化大混浴
直島のための
プロジェクト」
「文化大混浴 直島のためのプロジェクト」「文化大混浴 直島のためのプロジェクト」

 穏やかな瀬戸内海を眺めたり、遠くに瀬戸大橋を見たり、これから泊まるオーバルはあそこだと見たりしながら進むと、浜辺に降りられる道があり、そこを降りると蔡国強の作品「文化大混浴 直島のためのプロジェクト」がある(上の写真)。

 風水の思想に沿って配置されているという穴が開いた白い岩がいくつもあり、その中心に湯船?がある。
 今は冬なので?行われていないが、このお風呂に山から降りてきた「気」が集まるとのことで、薬草を入れたりして、入浴した者がその気を全身に受けるという。
 浜辺より少し高く、瀬戸内海が眼前にあり、沈む夕日と瀬戸大橋も見えてロケーションも良いので、「気」はともかく、ここに入ったら気持ち良いのは確かだろう。でも、混浴(水着着用^^)ということなので、(実は)男の方が恥ずかしかったりする(笑)

 蔡国強というと、広島市現代美術館での特別展が印象深かった。
 火薬によるドローイングを大画面で展開し、展示室に水を張って観覧者を作品の一部にしてしまうインスタレーションが面白かった。広島市現代美術館で観た作品の中でも特に印象深いもののひとつである。
 
夕日が沈む瀬戸内海 
 ←遠くに瀬戸大橋が見え、夕日が沈みつつある。

 ↓浜辺を散歩する夫婦。奥の黄色と黒の船も作品。
 海岸と、黄色と黒のボート

 上の道に戻り、ミュージアムに登る坂を進み、チェックインする。
 
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